『All Boys Aren't Blue』ジョージ・M・ジョンソン 黒人でLGBTQ+ 赤裸々な回顧録で問題図書扱いに

 


性的少数者の黒人青年のメモワール

 『All Boys Aren't Blue』は、アメリカ人ジャーナリスト、活動家のジョージ・M・ジョンソンによる2020年4月刊行の初の著作。自身のこれまでの人生を綴った回顧録(メモワール)なんだけど、これがアメリカで結構な話題作になってしまっている。作者はセレブリティでもないのになぜいきなりこんな自分語りの本を出せて、しかも叩かれているのか? 興味を惹かれて読んでみました。

著者のジョージ・M・ジョンソン

 著者は、本書執筆時に30代前半で、著者自身も著作内で語っている通り、人生を回顧するほどの年齢ではない。しかも何かキャリアや人生に大きな区切りがあって、それに関する回顧を綴ったわけでもない。この本の存在理由は、著者が黒人でしかも性的少数者(ノンバイナリ)である、ということ。ジョージ・M・ジョンソンは、フリーランスのライターとして2013年から2017年の間1000本に渡る記事を書いてきたという。専門分野は主に、人種、ジェンダー、セクシュアリティ、HIV、教育など。自分自身の体験についても積極的に発信し続けてきた彼は、2017年にあるゲイの青年が実父の手により殺害される事件に関して執筆したことをきっかけに、これまでの自身の仕事をきちんとした形にまとめて出版するべきだと決意します。

性的少数者に冷ややかなアメリカの黒人社会

 おそらく、黒人で、かつ上記分野を当事者として書けるライターはかなり希少なのでしょう。
 なぜかというと、著作内でも繰り返し書かれていることですが、黒人社会は強さ・男らしさ(masculinity)に価値を置く文化が根強く、同性愛やトランスジェンダーはそういった文化への脅威として嫌悪され、LGBTQ+の方々にとって非常に生きづらい場所なのだとか。黒人のアメリカでの生きづらさはもう言わずもがなですが、その中で性的少数者ということは輪をかけた生きづらさなわけで、黒人社会で今後も生きていくことを思うとカミングアウトも簡単にできない。
 そんな中で、黒人でありながら自身の体験をすべてさらけ出して活動している著者の文章には、同じような立場の人の役に立ちたいという切実な決意が感じられます。

内容は確かにすごい

 ただし、著者はいわゆる貧困や暴力にまみれた「ゲットー」みたいなところから上がって来た人ではなく、そこそこ恵まれた境遇で育っている。「黒人代表」を名乗られると違和感のある人もいるかもしれない。ちゃんとディズニー・ランドなんかにたびたび休暇旅行に行けているし、白人ばかりの私立の学校に通っているし、両親もまとも。やっぱりそういう人じゃないと上に行けないのか、とかなり複雑な心境になる。つまり、回顧録にありがちな壮絶な生い立ちというわけではなく、前半部分は、幼少時から感じていた自身が周囲と違うという違和感、ノンバイナリとしての孤独、自分を偽って生きる辛さ、みたいなものも度々書かれているものの、なんというかかなり「平凡」。普通の家庭で普通に育った青年の作文のようで、特筆すべき体験でもないなという箇所も含まれていて、退屈ですらある。なぜこんな安全無害な書籍が学校でもめるのか、たいしたことないじゃないの、と思っていたら・・・終盤、著者が思春期を経て成長し、大学で性生活デビューをするぞ!となるあたりからすごい。
 まずその前に・・・という感じで、大学デビューのパートの前にいきなり幼少期にいとこにされた性的ないたずらについて語りだす。ぼかした表現などは一切無し。あれをこうやってこれがどうなった、と微に入り細に入り、生物観察のごとく自分の体験を客観的に淡々と書いている。ダメな人はここでもう読み進められない。上品な親御さんたちが悲鳴をあげて本を閉じる部分だと思う。
 そして、そこでびびっていたら、「僕はバージンを二度失った」の章なんかもう・・・。真面目なママたちはぶっ倒れてるんじゃないでしょうか。私ですら口あんぐりだったので、確かに青少年が読んだら衝撃的に違いない。そうか・・・そうなのか・・・と自分が一生経験することがないであろうと世界を思いきり見た。
 しかし、この本は私のようにそうやって「そうか!彼らはそのようにするのか」などと興味本位で読んではいけない気がする。著者はとにかく真剣なのです。

「異性愛者の性に関する情報はあり過ぎるくらい溢れているし、学校で保健体育の時間に教えることすらしてくれる。しかし、性的少数者はどこでどうやって自身の性生活を実現したらいいのかすらわからない。情報も圧倒的に少ない。彼らも異性愛者のように、不安なく安全に性生活を楽しむべきだ」

と、LGBTQ+、特に黒人のLGBTQ+の人生の質向上を訴え、そのためだったらなんでも話すぜ状態なわけです。仲間もおらず、どうやって生きて行ったらいいのかわからないかもしれない同胞の若者が、道しるべにしたり、手本にしたりするような、そういう本を書きたいという真摯な思いで自身の性遍歴を晒している。まだ30代ということは、親きょうだいや本に登場したお相手もこの本を読むということで、かなりの勇気が要ったことでしょう。

 ただし、この著者は生まれながらの性が自己認識する性と一致していないことは確かなんだけど、「トランスジェンダー」ではない。精神的な葛藤や、男性相手の性遍歴については書かれていはいるものの、ホルモン療法や手術を受けて肉体そのものまで変えてしまう部分は無く、そういうコンテンツが含まれている本もある中である意味控えめと言えば控えめな感じもする。

赤裸々過ぎて議論沸騰

 著者もそれほど売れっ子のライターだったというわけではないし、この本はほおっておけばそれほどスポットライトも当たらずひっそりと読まれた類の本だったはず。しかし、なまじっか高く評価されて学校図書館に置かれ始めたのがよかったのか悪かったのか。刊行後17か月で、とある州の学校図書館に最初の排除要請が寄せられてしまった。どうやら、こういった本を排除するべきと考えている一派には、横の連携があるらしく、一度どこかで「問題図書」「有害図書」と認識されたら、「この本はうちの子が通う学校図書館にもあるのではないか」とその一派に属する親たちにカタログ検索され、次々と各地で排除要請が出るようになってしまう。
 しかし著者ジョージ・M・ジョンソンは、ジャーナリスト・ライターのほかに「活動家」の肩書きを名乗るだけあって、さすがの動きでこのチャンス(?)を逃さなかった。排除要請や実際に図書館からの排除が行われた州が8州を超えた時点で、Twitterで騒ぎ出す。
「本日の時点で『All Boys Aren't Blue』が8州の図書館から排除されている。戦い続けられるよう、元気を送って下さい。ペンシルバニア州、フロリダ州、アイオワ州、アーカンソー州、ミズーリ州、カンサス州、バージニア州、テキサス州」

 「この人たちはアマゾン、バーンズ&ノーブル、Goodreadsに『All Boys Aren't Blue』のことをポルノ本だという否定的なレビューを残したりもしている。もし見かけたら違反報告を、そしてもし本を読んでくれたなら、レビューを残して下さい。」


 本人も認める通り、こうして騒いだおかげで、著作が大きなメディアにも取り上げられるようになり、著者のこれまでの仕事にも注目が集まるようになったという・・・。
 そうなんですよ、排除しようとすると売れちゃうんですよ。この人、絶対これで売り上げ伸ばしていると思います。「保守派が有害だという本はたいてい面白い本だから読む」という人までいる。私も、なんか騒がれてるから読んでみるか、となった一人だし。本当にこの本を排除したいんだったら騒がず「黙殺」が一番だと思うんですけどね。宣伝してどうするんだよ、っていう・・・。

図書の排除に対する著者の分析

 Global Citizenなるサイトに掲載された「My Book Has Been Banned Across the US. Now I'm Fighting Even Harder to Tell Black Queer Stories(各地で自著が禁書になっている今、私は黒人のクィアのストーリーをより強く訴えていく)」という著者ジョージ・M・ジョンソンの寄稿文によると、図書排除の動きが最近活発化しているのには理由があるとのこと。

  • LGBTQ+関連の図書だけではなく、黒人の差別や抑圧の歴史を扱った本も排除の対象になっている。
  • 保守派が懸命にLGBTQ+と黒人の歴史を教育から消し去ろうとしているのは、おそらくアメリカの人口動態の変化という大きな問題のため
  • Z世代(いわゆる「若者」と言われる世代、現在10代~25歳くらい)の人口構成は、非白人が48%、白人が52%でアメリカの歴史史上、非白人がもっとも大きな割合を占める世代になっている。
  • そして、そのZ世代のうち15%が自身をLGBTQ+と自己認識している。
  • 人口に占める非白人の割合は今後も増え、LGBTQ+の絶対数も増えて行くだろう。
  • LGBTQ+関連のコンテンツや黒人の歴史の排除や否定は、多数派が少数派になる恐怖から来ている。
 現在の保守派の過激・過剰とも言える政策の数々に関しては、数で負ける未来がわかっている白人の最後のあがきだ、みたいなことは町山智浩さんの著書でも読んだことがある。

 この記事を書いている時点で、この『All Boys Aren't Blue』の図書館からの排除は、8州から20州の図書館へと広がってしまっている。正直、私も積極的に自分の子供に読んで欲しいと思う本ではない。でも、もし我が子がこの著者のように思春期に性的指向や性認識で悩んで孤独に過ごしているのだとしたら、こういう本を読んで「一人じゃない」と知って欲しい。
 読書などしなくてもリア充な99人のためではなく、理解者が一人もいないと思っているたった1人のために存在するような本があってもいい。そんな子のために、こういう本はあまり騒がず図書館の片隅にひっそりと置いてあげてほしい、そんなふうに思います。

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